2021-06-03 第204回国会 参議院 総務委員会 第15号
農業、畜産業、養蚕業、それと水産業については、労働の対象がいずれも自然物であり、その業務が天候等の自然条件の影響を受けることから、労働基準法第四十一条で労働時間、休息、休日の規定を受けていません。
農業、畜産業、養蚕業、それと水産業については、労働の対象がいずれも自然物であり、その業務が天候等の自然条件の影響を受けることから、労働基準法第四十一条で労働時間、休息、休日の規定を受けていません。
花を作っているところもある、養蚕を行っているところもある、認知症の薬が開発できるという可能性もあるというふうなことも聞いておりますけれども、地域とも大変にうまくコミュニケーションを図っておられて、いわゆる志の高い本当にすばらしい企業の方々が参入していただいております。
地方というのは、最初は、四十年前には、養蚕業もありました、織物業もありました、縫製業もありました。島根県では縫製工場がたくさんあった。ほとんど中国やその他のアジア諸国に行ってしまっている。そして、電気製品の組立てや部品の製造、そして林業。林業も、木材市況の低迷によって林業が成り立たなくなってくる。
花卉、イグサ、あるいは養蚕などです。これはこのカテゴリーからちょっと外れると思います。そして、それ以外は、国土を守る、地域を守るための農業。これは、今申し上げた口に入らないものを作る農業もそのカテゴリーに入ります。
それで血糖値を下げるとか糖尿病の予防が期待されるということで、商品普及を続けていけばこれは養蚕の活性化にもつながるというふうなことで、そういうふうに広がって、製造業が非常に育っていないという話もある中で、こういうことを是非広めていくというか発展させる必要があるんだろうなと思いながら見たんですけれども、それをめぐっての学生の取組でちょっと紹介していただければと思います。
私も実際に見てまいりましたけれども、歴史のある養蚕農家を改築した宿、これ、稼働日数、去年ですね、何日あってどれぐらいの方が宿泊されたんでしょうか。
また、絹産業も、養蚕農家というのは、ピーク時二百二十一万戸だったものが、平成二十四年には五百六十七戸まで減っています。これは和装離れがあり、そして需要がなくなったからだということも言われております。 サブカルチャーなどには政府は本当に巨額の基金などを積み上げておりますが、こういった文化に対してはなかなか支援が行き届いていない。
そして、昭和に入って、養蚕が盛んでございました。また、川を利用した、がら紡というものも盛んでありました。しかし、時代の変遷によって低調傾向になってきた。そのときに、豊田織機自動車部というのが刈谷にありまして、それが工場として、会社として独立したいからという情報を当時の町長さんが得まして、町長さんが奔走して誘致してきたわけでございます。
このほかにも、同じ養父市でございますけれども、養蚕住宅から生まれ変わった日本初の古民家旅館が地元の若者五名によって運営されているという事例がございます。また、新潟市では、農地を転用して建てられた初めての農家レストラン、これが先月開店いたしまして、相当のにぎわいを見せているという状況でございます。
私の地元埼玉県も養蚕業が大変盛んでありました。二十年前に県会議員になったときは、養蚕会館がまだございました。しかし、今もう既にそこは駐車場となっております。 そういう意味においては、本当に純国産の着物というものもやはり目指さなければならないのではないか。
私の住んでいます地域は、かつては米と養蚕が中心の地域でございましたが、今は養蚕はもちろんゼロ、お米を栽培している人も一軒もありません。全部が桃とブドウを栽培しております。野菜は自家消費用をつくっているだけというふうなところでございます。 その中で、就農者数ですけれども、百十三名おります。
これ相模原の商工会議所の女性会の皆さんが開発した商品なんですけれども、この桑の葉というのは、相模原、かつては養蚕の町として栄えておりまして、そうした意味で桑の葉を使って、地域を活性化するために女性会の皆さんが知恵を絞って開発した商品なんですね。
○村岡委員 農協が岩盤だという認識なのかどうか、それはまた後でお答え願うとして、また、安倍総理は、明治時代の農業指導者、古橋源六郎暉皃さんを紹介して、いろいろな、養蚕だとか米だとか林業だとか、こう言いました。 歴史を振り返ることは大切です。その時代は日本だけの市場だったんです。日本だけの市場ですから、食料が不足している、百姓と言われる、いろいろなことができるところがその人たちの職業であった。
そう確信した彼は、植林、養蚕、茶の栽培など、土地に合った産業を新たに興し、稲橋村を豊かな村へと発展させることに成功しました。 今、日本はもう成長できない、人口減少は避けられないといった悲観的な意見があります。 しかし、地方の豊かな個性を生かす、あらゆる女性に活躍の舞台を用意する。日本の中に眠るありとあらゆる可能性を開花させることで、まだまだ成長できる。
そう確信した彼は、植林、養蚕、茶の栽培など、土地に合った産業を新たに興し、稲橋村を豊かな村へと発展させることに成功しました。 今、日本はもう成長できない、人口減少は避けられないといった悲観的な意見があります。 しかし、地方の豊かな個性を生かす、あらゆる女性に活躍の舞台を用意する。日本の中に眠るありとあらゆる可能性を開花させることでまだまだ成長できる。
先に養蚕業を聞きたいと思いますが、紙先生のと大分かぶりましたから、割愛しながら何とかやっていこうと、こう思うんですが、どうぞ寄り添うような思いで答弁をしていただきたいと思います。
実は、昨年来、一部の養蚕農家、連携グループの方々から、四月以降も緊急対策を、助成がないと事業の継続が不安だという声が出されて、群馬県内の自治体でも助成を求める議論が活発に行われて、大日本蚕糸会が独自に繭一キロ当たり千二百円を助成するということで、群馬県内も三百円上乗せすると。で、更に上乗せする自治体も生まれてきていると。
次に、養蚕、蚕糸問題についてお聞きをしたいと思います。 農林水産省が二〇〇八年に生糸輸入調整法を廃止しました。国としては大日本蚕糸会に三十五億円の基金を積んで、大日本蚕糸会が蚕糸・絹業提携支援緊急対策事業ということでやることにしたと。この事業、六年間の事業なので、この三月で終了したんですよね。
もともと養蚕業からの転換で栽培が始まった秩父キュウリというのは、土づくりやあるいは栽培方法を工夫して、半世紀かけてブランドとして立ち上げてきた。市場からも高く評価されていると聞いております。生産量が限られているために、地元でもなかなか流通しないような、大変貴重なキュウリとして承知をしております。
先ほども言いましたが、群馬へ行ったときに、富岡市は昔から養蚕の産地なんですね。蚕糸工場があって、文化財にも指定されるぐらい。ところが、聞きますというと、もう衰退に衰退を重ねて十四農家しか残っていないというような、あの興盛ぶりからすると悲惨な状態だと言っていいんですが。
私は、昭和三十二年、福島県立相馬農業高校を卒業し、葉たばこ、養蚕、果樹園、水稲、大豆など、農業一筋に生計を立ててまいりました。そして、農協代表幹事、農業委員会会長、農業共済組合長理事の職務を遂行し、現在に至っております。 浪江町は、面積二百二十三・一平方キロメートル、双葉郡の海岸沿いに位置し、山地、川、谷、水系に恵まれた自然豊かな土地であります。
戦後、養蚕と林業、そしてコンニャクイモ、この生産で栄えていたんですけれども、一万人いたときもあるんですね。それが、その後、養蚕も林業もコンニャクイモの生産も衰退してしまって、高齢化がどんどん進んで、高齢化率が、六十五歳以上の方がもう今五七・二%ということで、もう六割近いんですね。そういう過疎ということになって、一番、日本一、高齢化率は日本一というふうに言われるぐらいなんです。